「教育ママ」は悪口か?

「教育ママ」という言葉を聞いて、どういうイメージが頭に浮かびますか?

幼稚園や学校の方針にケチをつける。子どもに厳しくしつけをする。逆に、子どもに甘い。行動に口を出す。毎日きびしく勉強させる。門限をきめる。等々。どうもガチガチの堅物イメージが多いようです。

以前に尋ねた人の中には「細い三角のメガネをかけて和服でPTAの会長をしていて語尾にザマスとつける」と答えた人がいました。昭和の頃の話ですが、これはいくらなんでもあんまりでしょう。

ですが、本来の意味は違っていたはず。教育熱心で、子どもに愛情を注ぐ、子どものための労を惜しまない。そんなプラスの意味があったはずです。

そんな良い意味だった言葉が、どうしてこんなイメージになってしまったんでしょうか?答えは「やりすぎた」からです。

今のお母さん達の世代には直接の罪はありませんが、昔からの積み重ねで、子ども同士の競争を煽り、厳しくしつけ過ぎ性格まで歪ませ、数々の社会問題を生み出してきた歴史があります。

過去から学ぶ意味でも、自分がやり過ぎていないか?本当に子どものためになっているのか?常に考えてください。

子どもに愛情を注ぐことは止められません

ですが愛情の注ぎ方を変えることはできます

もし「子どものためになら、もっと頑張れる」というお母さんには、子育ての「基本、基礎」をきちんと学ぶことを勧めます。

○○教育法が新開発、○○塾が流行っている、○○育児法が最先端。こう言われて飛びつかないでください。子育ての方法は新しければいい、珍しければいい、そんなことは一切ありません。

話題性に飛びついて後悔してきた先輩のお母さん達のことを想像してください。寄り道や回り道を何度もしたくないでしょう?

生まれてから小学校入学まで6年、高校卒業まで考えても18年。先を想像すると長すぎてウンザリするかもしれませんが「たったそれだけの期間で人として成長しなきゃいけない」と考えると短くありませんか?

そのために「やりすぎない、バランスがよい」ことまで考えて教育熱心になってください。本当の良い意味での教育ママになってくださいね。