7対応→反応→対応の連鎖-7無限に続くキャッチボール

手続きの記憶

今までに学習して来た事は部分的に、もしくは圧縮されて記憶の中にしまってあります。そして子どもは何か行動や選択を迫られた時に、過去の記憶を引っ張り出してきて自分の行動を決めるのです。

じっくりと落ち着いて考えられる子どもは、隅々まで記憶を調べてもっとも良い結果が起こったパターンを選び出すかもしれませんが、少し慌てていると場面だけ似ている記憶や、同じ場面でも失敗した時の記憶を引っ張り出して同じ失敗や予想外の行動を取ってしまうことがあります。 失敗すれば失敗の記憶として、成功すれば成功の記憶として、再び脳へと記憶されて次回に使われます。

小さい頃からの記憶を全て意識的に思い出すことはできませんが、それはふとした瞬間に思い出したり、手や足が慣れて憶えていたりと様々な形で残っています。それは成長の過程でわざわざ思い出さなくてもできるようになったことも、原始的な記憶には残っている、ということです。

手続き同士の連結

どんな複雑な行動や対応でも、還元していけば一つ一つは単純な動作の組み合わせに過ぎません。お茶をコップに注ぐことは、コップの中を視認しながら少しずつお茶を注ぎ、溢れるよりも前に止める動作の組み合わせです。更に冷蔵庫を開けてコップを持って麦茶をついで自分で飲むこともできるようになります。

子どもが自分でやろうとすることと、しないことの間には、この差が開いています。子どもにとってその行動が自分の知っている動作、処理の組み合わせだとわかれば、自分でできる気分になるのです。

時には一箇所がわからないために全体ができないと思い込む子どももいますが、よく話を聞くとわからない部分はごく一部に過ぎない場合がほとんどです。 そしてやった結果、うまくできたかどうかを記憶しますが、物覚えの良い子の特徴は、記憶する前に再び要素還元してどの部分ができて、何に失敗したのかを再評価することが変わっています。普通の子どもでも一日の終わりに今日うまくできたことやできなかったことを振り返ってみる事も良いでしょう。大人になってからの予習復習のようなものです。

手続きに必要な動作の組み合わせ

掴む、ひねる、引っ張る、押す等の簡単な動作の組み合わせでも、実に複雑な行動を作り上げる事ができます。そして子どもは知らず知らずのうちに自分のもっている能力を使って新たな行動を作り上げるわけです。

三輪車に乗るような場合、両足の回転運動などは今まで歩行の時に若干必要になるくらいで、回転運動自体を練習する機会はほとんどありませんでした。しかし三輪車にまたがり下へ下へと押しているうちにコツがわかってきます。

このように自分が持っている能力から、外界に応じて新しい力を手に入れる事ができるのです。 もう一つの2~4歳へかけての大きな変化は、自分の動作に調節が効くようになることです。人間の体、手、足などは基本的に骨を挟んで両側に筋肉がついています。そしてその両側の引っ張り具合で動作を微調整する仕組みになっています。

しかし子どもの頃の動作は片方のみに力を入れるかどうかで行っているため微調整がききません。柔らかい物を握りつぶしてしまったり、大きな音を立ててドアを開け閉めしたりとオンかオフしかスイッチのない機械の様な動作ですが、これが経験を積む事によって両側の筋肉に均等に力を入れながら、ゆっくりと強さを調整しながら動作を行うことが可能になるのです。 よく小さい子がドタバタしているように見えるのは、この力の調整がうまくいっていないからです。これは体の場所によって成長にばらつきがあるために、一度練習をしたからといってすぐにうまくなるものではありません。ゆっくりと時間をかけて、少しぐらい大きな音が出てもいいので何度でも練習しましょう。

手続きの簡略化

成長と共に子どもは幾つかの動作の連続を手続きとして憶えていきます。そしてその中には場合分けの分岐や、繰り返しのループも含まれます。洗面所にいってコップに水をちょうどよく注ぎ、うがいをしてタオルで拭くがタオルがなかったら新しく出してから拭く、というような複雑な手順も「うがいしてきなさい」という単純な言葉で実行する事ができるようになるのです。

子どもが手続き自体に名前を付けて実行できるようになったということは、子どもの中でそれは無自覚にできるようになったということを指します。うがいという一連の動作を実行するたびに慣れも伴い、一個一個に要素を分解しなくても楽に先へと進めるようになるのです。それは子どもの中でも、うがいという一言でまとまった単位として考えられ、再利用可能になるのです。

さらに高度な手続きへ

手続き自体が一つの単位になれば、それを組み合わせて更に複雑な手順の行動が実行できます。帰ってきて、靴を脱ぎ、手洗い、うがいをして、服を着替える、という単位で帰ってきてからの行動を憶えることもできます。しかし、このうちに一つ分からないことがあると全体がストップしてしまいます。

そこで「わからないことやできない事が出てきた時に」聞きに来るという動作を追加しましょう。 ここで気を付けたいのはできる事はなるべく自分でやってもらうことです。母親の指示がなくても次へ次へと進める自覚が大事です。

また反抗期になると親の手伝い自体を煩がることになります。そしてできないところ、難しいところだけを周囲の大人に頼んで「手伝ってもらう」のです。(これは単にやってもらうことではありません)子どもとの会話で、「ここまでできたらお母さんを呼んでね」等と約束しておきましょう。

また呼ばずにやってしまったとしても、それは言う事を聞かなかったのではなく、自分でやってみたかった、自分でできるか試してみたかったということです。むやみに怒る前に理由を聞いてみましょう。

どこまでできているのか評価する

親や先生もボンヤリしているわけにはいきません。子どもの行動の原則をどこまで理解して、細かく評価できるのか、腕が問われる場面です。

ここまでの流れを理解していないと、子どもの無秩序で意味不明の行動に一つ一つ怒りの言葉を投げつけなければなりません。 しかし子どもが何故そういう行動を取ったのか、必ず理由があります、その理由を見つけ、理解し、できた部分は褒め、できなかった部分は教え、正当に評価してあげなければなりません。

自分を正当に評価してくれている人間に対しては、どんな厳しい態度の人でも子どもは尊敬の目で見ます。そして自分のことを理解してくれない人間には、優しく甘えさせてくれる人でも、愛想をつかしていくでしょう。お互いに仲よく尊敬し合える間柄が理想ですが、中々うまくはいきません。できるだけ理想を求めて互いに歩み寄りを深めていきましょう。

成長の喜び

ここまで書いてきた事は、できた時に褒めてできない時に叱るという行動を、場合分け、場面分けして紹介してきただけです。これだけでいいのでしょうか。というよりも育児や教育にはこれしかないのです。我々大人が子どもに対して持っている道具は結局は快と不快のコントロールに集約されます。それらの微妙なバランスとタイミングによってしか前に進む事はできないのです。

世の中には奇をてらった育児法や今までになかったという触れ込みの教育法が溢れています。 そのキャッチコピーは魅力的なものですが、世の中にそんな魔法のような事例はないのです。子どもと共に成長する事は気が遠くなるような長い苦労の道のりですが、そんな中で奇策に飛びついたところで混乱するだけです。

子どもは生まれた瞬間から自分で学び、自分で成長する機能を備えた存在です。周囲の大人は止まった時に背中を押してあげ、転んだ時に助けおこしてあげれば、それだけでいいのです。子どもの成長はこの本を読んでいる間にも止まるところを知らず続いています。明日の子どもたちの笑顔に大いに期待してみましょう。

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