1基本の中の基本-3オペラント
快と不快
よく人間はアナログな生き物だと言われますが、最初の段階では状態として二つしかありません。「快」か「不快」かです。どちらかというと非常にデジタルな物の見方だと考えられます。そしてこの二つが人間の行動を決める条件になっていくのです。
快適な気分、快適な体調、全てにおいて満足を得ている場合、それを人間は心地よい状態として認識します。これが快です。満腹でゆっくり眠った後、子どもは機嫌良く過ごします。当たり前のことですが、この状態はなかなか簡単には訪れません。
空腹感、眠気、痛み、痒さ、寂しさ、不安感等の自分にとって好ましくないことが一つでもあると不快な気分になります。最初のうちは、頭の中で他の感覚との区別がなかなかつかないので、他のことで非常に満足しているはずでも、一つ不快な条件があるだけで子どもは泣き出したりぐずったりしてしまいます。いくら満腹になっていても、睡眠がとれていても、たった一つ満たされない部分があるだけで、それは不快なのです。
後々になり、空腹は空腹、眠気は眠気と分けて感じられるようになると、この傾向は治まります。しかし満たされない感覚は度を越えれば他の満足感を打ち消してしまいます。転んだ幼児に慰めにお菓子をあげたら泣きやむ場合でも、その時に大きな痛みや怪我があれば他の事では満足がいかないのです。
無条件反射と条件反射
条件反射という言葉を聞いてパブロフの実験を思い出される方も多いでしょう。犬に餌を見せればよだれがでる。これが無条件反射です。いいかえれば「当たり前の反応」ということです。
では犬に餌の時間の前に毎回チャイムを鳴らしてから餌をあげることを続けます。すると犬はチャイムを聞いただけで、よだれを出すようになります。これを持って「犬はチャイムが鳴ると餌をもらえる、ということを学習した」と言います。古典的な条件付け、条件反射と呼ばれるものです。
この時に犬の心の中では、前にあった空腹、餌、食事、満腹という一連のグループに新たにチャイムという本来は無関係なものが連想として入り込んできたことを意味しています。このことは重要です。学習や繰り返しによって、生物の本能とは関係のない事柄を割り込ませる事ができるのです。
学習する
子どもも最初のうちは、この古典的な条件付けで学習する場合があります。泣いたらミルクがもらえる。お父さんが帰ってきたら玩具がもらえる。おばあちゃんが来たら抱っこしてもらえる、等です。しかし、これは考えているというよりも、一つのきっかけに対して一つの結果を連想しているだけで、それはいつも満たされるとは限らず、子どもは不思議に思い、時には自分が思った結果が得られないことに泣き出したりしてしまいます。
その次の段階から本格的な学習が始まります。大事なことは、自分の行動が外部の結果を決めるということに子ども本人が気づく事から始まります。そして結果的に自分が満足するのか不快な状態になるのかで子どもは行動パターンを学習して行くのです。
母親に甘えたら抱っこしてもらって満足したので次もやってみる。食べ物を投げたら怒られたので次からはやらない。次から投げなかったら褒められたので次もそうする。怒られて不満だったので母親を叩いたらもっと怒られたので次から叩かないようにする。等など、自分がやったことの結果で結果が変わるので、この時期の子どもは様々な不思議な行動をして結果を見て試行錯誤することになります。
一回一回の積み重ね
試行錯誤の積み重ねはしばらく続きます。それは一回きりだと正解なのかどうか、あやふやなためです。単なる偶然だったのかもしれない。条件が違ったのかもしれない。積み重ねの上で学習したことが役に立たない場面にも出くわすこともあります。だから何回も同じ失敗や悪さをしているように見えても、子どもは満足いく結果が出ないために不思議に思っていることが多いのです。
おじいさんに甘えるといつも公園の砂場に散歩に連れていってくれるため、砂が目に入って痛い。だからおじいさんに甘えるのはダメだ、と認識してしまうこともあります。お母さんに手を出すといつもお菓子をくれるはずだったのに、今回は貰えなかった。単にその時お菓子がなかっただけかもしれないのに、子どもは失敗した、これはダメだと思うかもしれません。
動機付け
子どもの内なる要求だけでは中々学習の幅が広がらないので、周囲の人間は子どもに望んでいない行動を取るように指示やお願いをします。これは難しいことではありません。嫌いな食べ物を食べるように言ったり、遊んでいる子どもに外へ行こうと言ったり、その程度のことです。
しかし元々それを自分が望んでいたわけではない子どもは、拒否をしたり乗り気がしなかったりします。これは当然のことです。自分の中にはそうする理由が全くないのですから。しかし人生はそう簡単にはいきません。やりたくないこともやらねばならず、望まないことも起こります。それに対して自分のやりたいことだけやってい生きていくわけにもいきません。
そこで外へつれていくと、お店で何か買ってもらえるとか、嫌いな物も食べると褒めてもらえるとか、そういうことで子どもに満足感を与えて次回からの行動の元を作るのです。これが正の動機付けと呼ばれることです。最近、外来語でモチベーションが上がるとか下がるとかいう言い回しが流行ってきました。これは動機が有る、無いと同じ意味です。その行動を取るだけの理由(動機)が有るのか無いのかが重要なのです。
逆の考え方も有ります。外へ行かないと怒られる、嫌いな物を食べないと怒られる等です。これも表裏一体で全く同じ結果を引き起こします。これは負の動機付けと呼ばれます。言うことを聞かないと、もしくは悪いことをすると怒られるという自分にとって嫌なことが待っているわけです。
何を考えているのか
正と負の動機付けは時と場合により使い分けることが大切です。どちらも直後の結果は同じですが、長い目で見ると特徴は大きく変わってきます。子どもが褒められたり怒られたりしている時に何を考えているのか注意深く観察してみましょう。
出かけることを嫌がって怒られた。出かけた先で失敗をして怒られた。帰ってきてからも怒られた、では一個一個の行動は学習できますが、それよりも外出自体にマイナスのイメージがつきすぎてしまい、次から外出をより嫌うようになっても不思議はありません。
嫌いな食べ物を食べずに怒られた。少し食べたら褒められた。でも全部食べ切れなくて怒られた場合は食事自体を嫌いになり、今まで食べることができたものまで嫌いになるケースもあります。周囲の人間は常に自分がどれくらい褒めて、どれくらい叱っているのか振り返るようにしましょう。どちらかに偏りすぎてはいけません。
とは言っても子どもの行動は大人から見れば奇妙きわまり理由のわからないこともしばしばです。どうしても叱る機会の方が増えがちです。できるだけ、できない時に叱るより、できた時に褒めるようにしていきましょう。
予想のアタリとハズレ
子どもは自分なりに必死で考えています。行動の一つ一つは考えた上での行動なのです。(幼い時には感情にまかせて深く考えずに行動することもありますが、それを含めて考えや理性の上なのです)どうしたら怒られずに済むか、どうしたら褒められるのか、考えてはいますが正解の当たりクジを引くのは中々難しいことです。
ましてや未発達な段階では一から十まで理性的な行動ができるわけでもなく、感情にも流され、物事をきちんと区別して考えられることも難しいのです。よく歳をとって人生経験を積んだ、という言い方をしますが、子どもにとって今まで数ヶ月、数年に経験したことなど大人に比べれば極少量の経験にすぎません。
外にいってフリスビーで遊べと言われて投げて遊んだら褒められた。家に帰ってきて似たような皿を投げたら怒られた。皿は投げちゃダメだと言われて覚えた。次の日に保育園に行ったら紙のお皿を投げて遊んでみよう、等と言われたら子どもはもうパニック状態です。そんな中でも頑張ってハズレを引かずにアタリを引こうと子どもたちは学習を積み重ねて成長して行きます。
※この関連内容を書籍型pdfファイルにまとめたものが
「育てる技法」としてダウンロードできます
<<<是非お手元にどうぞ