1基本の中の基本-2心理学の見方


「体」中心から「心」中心へ

ここで述べたいのは心理学という、なかなか一般の人たちにはとらえどころのない学問の内容を細かく述べていくことではなく、どうしても身体発達の段階わけで子どもを見てしまう時期に、視点を子どもの体から心の動きに移してもらいたい、ということです。心と体は密接に結びついています。身体的な発達を気にするときには、必ず心の問題まで含めて考えるようにしてください。

「うちは何ヶ月で寝返りをうった」「この子は一年弱で言葉が出てきた」「そろそろ立ち上がってもよい頃なのに」育児本に書いてある目安や親族、知人などから入ってくる情報で成長に一喜一憂する時期ですが、すこし視点を変えてください。話すことや立ち上がることは、それぞれ勝手に起こる出来事ではなく、心の中にそれなりの理由ができてから初めて行動にうつされる行為だからです。

心は動き出す

ぼんやりと寝転がったり、自分の外で起こる事(母親の言葉かけ、世話、聞こえる物音、見える光景)と自分の中で起こる事(快、不快の状態、痛み、心地よさ)の区別がつかない段階から、子どもの心は物凄い勢いで情報を処理しようとしています。

頭は動いて、周囲で起こる様々な出来事や自分の欲求とが脳裏に浮かんでは消えるのですが、最初の時点では上手にそれらを処理することができません。それぞれの出来事が結びつけて関連付けされていないからです。

そのうちに空腹という状態と食事(ミルク)をとるという行為、満腹感という感情がお互いに関係のあることだと子どもにもわかってきます。それは最初は偶然の一致ぐらいの感覚ですが、回を重ねるごとにしっかりと心に刻まれ結びつきが強くなっていきます。そうして心の中に関連付けられたものがグループとして登録されてくるのです。具体的には脳神経が結びつき、ネットワークを形作る段階です。

心の理

心理学という言葉を難しくとらえる必要はありません。心の動きの理由、心の中で起こる事柄のルールという程度の理解で充分です。気まぐれに場当たりに行動しているように見える子どもの、しぐさの一つ一つに子どもなりの理由があって行動しているのだという理解をしてもらいたいのです。

心の中で結び付けられた自分の状態、外部の刺激、感情は無数の体験の積み重ねの上に成り立ち、関係があること、関係がないことを少しずつ学習していくことになります。それは無数の失敗と、少ない成功の体験から当たりを引き当てるまでのプロセスです。だから最初は周囲から見ると何をやっているのか、何のためにやっているのかサッパリわかりません。それは子どもの試行錯誤の状態だからです。

お尻が濡れて不快な状態と、泣くという行動、オシメを取り替えてもらう行為、不快な状態から開放された満足感は強く結び付けられていきますが、逆に学習の過程で「笑うという行動」「食べるという行為」等は「お尻やオシメとは関係がないこと」として結びつきが弱まっていきます。このように関係がある物を次々に連想し、関係がない物が切り捨てられ頭に浮かばないようになることが心のルール、心理なのです。

例外処理

さて、少しずつ心のルールが形作られてきて心の中で浮かぶ様々なことの違いが子ども自身にもわかってきます。同じ不快感でも空腹感と痛みと熱の苦しさと眠気は違うことが理解できてきます。さらに、それに対して自分が起こす行動、やってもらう行為、その後の感情なども違うことがわかってきます。

混沌としていた心の中はいくつかのグループに分けられ、それぞれに関係があることが一つの固まりになっていきます。子どもの方もいつまでも「泣く」という行為だけに頼っているわけにはいきません。いろんな泣き方や体の動きを使い分けるようにならなければ当たりクジをひく確率は低いままです。ここで子どもの試行錯誤を(周囲から見れば好き勝手、無作為にやっているように見えるので)抑制してしまうと、いつまでも学習が進まないことになります。

そして周囲の行為や環境が自分の望んだ結果だということを知らせるサインとして笑うことが有効だということを知るのです。笑いの表情は、生まれてしばらくしてから見られますが、誰に向けてということはありません。しかし一段階「心」がレベルアップすると笑うことを「見せる」ようになってきます。自分の状態が快適で望んだことが起きた場合に子どもは笑って見せるのです。

また他の感情も分かれてきます。不快な時に泣いてばかりではなく、怒って見せたり悲しんで見せたり、他の人間に送るサインは少しずつ増えていきます。

心が心をつくりあげる

最初から当たりクジをひくことは非常に稀です。自分の中で関係があるだろうと思っていた事でも実は関係がないこともしばしばです。だから子どもの行動だけを見ると非常に不思議な関係ない気まぐれなことをしているように見えるのです。しかし、子どもはいくつかの選択肢の中から当たりを見つけようと頑張っているのです。

泣けばオムツを替えてもらえると思っていたのにミルクが出てきて興味を示さなかったり(ここで怒ればそれが「違う」というサインなのだと母親にもわかるのですが、それはまだ先の話)、歯の生え始めで口を触ってみても、お腹がすいてると勘違いされたり、自分の行為がどういう結果を伴うのか、そして周囲がどう対応してくれるのか、なかなか結びつきが強まりません。

逆に周囲がものわかりが良過ぎるのも困り物です。子どものちょっとした行為ですぐに望む行動をするのは結構なことですが、子どもの自分の状態を表す能力がなかなか発達しないのです。無数の失敗と成功で子どもは学習します。何回目に当たりを引くのかは偶然です。だから子どもによって発達の時間が長かったり短かったりするのも当然のことなのです。

五感と心

今までは自分の中だけにある感情(空腹感、痛み、不快感)を例にだしてきましたが、それらは外の状況が引き起こすことも増えていきます。目、耳、鼻、口、手足等、体は自分で動かすだけのものだけではなく、外界を探知するセンサーの固まりでもあります。

人の顔に似たものが目の前に現れると楽しくなります。乳児でも丸い顔の中に目と口がある図形を見せただけで反応があります。その目が吊り上っているか下がっているかで、相手の感情までもわかることが近年明らかになりました。

どんな音でも面白がって聞いていたのに、大きな物音にはビックリしたりするようになります。匂いや味覚にも好みがでてきます。手足や体なども熱い、冷たい、痛いなどのセンサーがありますが、最初は子どもの中でどこがどこだか、何が何だかわかりません。触っている感覚と痛いや冷たいという感覚が一致して、刺激の種類や体の場所も少しずつ学習していくことになります。

こうして体中のセンサーから送られてくる情報と自分の感情、それに対する行動、周りの対応などが一塊のグループを作って心の中で一定のルールができてきます。

心から体へ

心の動きが活発になってくると、自分がアクションを起こして「してもらう」だけでは物足りなくなってきます。体の気になる部分は自分で触ってみたいし、食事が満足になったらイヤイヤをするようになったり、不快感からゲップをすることを覚えたりします。

姿勢が苦しくて寝返りがうてるようになったり、目の前のものに手を伸ばして触ったりすることもはじめます。でも現状で自分ができることには限りがあります。最初は乳児の視界は数十センチから一メートルくらいですが、どんどん遠くのものが見えはじめます。また自分を囲んでいる外界の状況もよくわかるようになります。(ハイハイをはじめる頃、子どもはすでに自分の周りを三次元的にとらえることができるようになっています)

そこで遠くまで行きたい。速くつきたい。興味があるので隣の部屋に行ってみたい。寂しいのでお母さんの所まで行ってみたい。そういう欲求からハイハイ、そして歩くことを必要とするのです。何も理由がないのに面倒な歩く練習などは始めません。また、面白そうなおもちゃを自分で持っていたい、手で感触を味わいたい等の理由で手先もどんどん器用になっていきます。体の発達は心理的な理由あってのものなのです。その理由がない時に無理に練習をしても(させても)なかなかうまくいきません。

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