1基本の中の基本-6意識

思っていること

意識という言葉はわかるようでわからない言葉の代表です。意識があるとは何があるのでしょうか。意識を失ったとは何を失っているのでしょうか。古来より哲学的、形而上的に盛んな議論が繰り返されてきましたが、ここでは深く掘り下げません。

自分が思っている事、考えている事、その集まりの心の動きをとりあえず意識と呼んでおきましょう。これはコンピューターでいえば画面に映っているもののようなことです。もちろん画面に映っている事が全てではないように、人間の頭の中も意識だけが動いているだけではありません。

見ている自分を見る

さてあなたがこの文を読んでいる時に、読みふけっている自分と、それを客観的に眺めている自分がいると思います。「あぁ自分は文章を読んでいるんだなぁ」と思いながら、全然違うことも考えているかもしれません。人間は複数の事を同時に考え思いふけるものです。そして、それを客観的に統合している自分も同時にいます。

子どもの時にはこの複数の自分は統一されていません。子どもの話を聞いていると脈絡なく話が切り替わったり、関係がない所へ話が飛んだりします。表情も泣き笑い等が頻繁に切り替わり、落ち着きを見せません。これは「自分をコントロールする自分」が未発達なせいなのです。そのために子どもは自由な発想をどこまでも広げる事ができますが、自分をコントロールして統一的な自分を確立する事ができないでいるのです。

無意識

さて自分の中では色々な考え事が進行中です。玩具のこと、ご飯のこと、お母さんの事、隣の部屋の事、窓の外が明るい、お父さんは会社、お土産はあるか、玩具がほしい、お母さんに言おう、お母さんはどこだ、隣の部屋かな、寂しい、音がした、庭にいるかも、靴は、外に行ったら石蹴りをしよう。子どもの心の中は寸断の休みもなく様々な考えが浮かんでは消えていくのです。

ここで浮かんでくる考えや想いは、普段は脳の奥底に眠っています。いや正確には奥底でうごめいているのですが、意識からすると眠っているように見えるのです。これを無意識と呼びましょう。人間が考えを止めると湧きあがってきたり、意識の流れをせき止めたり、流れを変えてしまったりと無意識は見えないところで動いています。しかし言葉にならないような記憶や感情の固まりがグルグルと渦を巻いているので自分の意識からは見えない仕組みになっています。

自分は何をしているのか?

自分の意識がハッキリしていれば、自分が今何をしているのか、おぼろげながらわかります。これは自分の認識できる範囲で、ということです。子どもであれば、もちろん正確に何をしているかわからない場合もあります。遊んでいる時に寒いからと服を着せられれば、楽しかった事を中断させられて、なんだか布をかぶせられた、そして視界が開けたと認識するでしょう。

もっと小さい時ではどうでしょうか。言葉を憶える前は、自分の頭の中の思考も言葉として考える事ができません。言語化されない感覚的な世界の中で子どもは周りをみているのです。そして自分と他人、他の物との区別も良くついていません。つまり自分は何をしているのかは、自分を包む世界がどうなっているのか、と同義なのです。

断片的な意識

頭で考えていること、思っていることは乳児の頃は常に断片的です。考えが浮かんでは消え、思っては忘れるのです。少しずつ物を憶えていけば、同じ事が起これば、前にあったことだと認識できるようになります。それが続くようになれば、今度は新しいことが何かわかるようになります。そして自分の思ったことや考えたことも「思いだせるように」なるのです。

それでも、まだ意識は断片的に一個一個が独立しています。思い出したら思い出しただけ。同じだと考えたら考えただけです。相変わらず子どもの意識はぶつ切りで、意識の映画フィルムの一枚一枚は関連付けられていません。それがもう一段階成長するには、言葉の学習を待たなければなりません。

意識の連続

他人の言葉自体は前から聞いていますが、それが自分が口から出す音と関連があり、物には一つ一つ名前があると気付いた時に子どもの知識は爆発的な広がりを見せます。大事な事は口で言葉を喋れるようになることと共に、それに伴って言葉を使って頭の中で考えられるようになる、ということなのです。

意識の中にも言葉が持ち込まれます。それまで曖昧だった無意識と意識の境界線もハッキリしてきます。そして言葉を使って頭に思い浮かんだことや考えたことを言葉で記憶して、再生できるようになるのです。そして自分が連続した一つの個体なのだときちんと認識できるようになるのです。名前を呼ばれる自分、玩具で遊ぶ自分、お母さんの子どもの自分が全て同一人物であると理解できるようになるのです。

意識が連続してくると、そこに時間の感覚が生まれます。それまでは現在(極近い過去と未来を含む)という概念しかなかった子どもが、過去を振り返る事ができるようになり、まだ起こっていない未来を予想する事になります。これはとても大きな意味を持っています。数の概念もこれと共に発達します。一つ増える、減るという時間的な変化を見て数をかぞえられるようになるからです。1、2、3と数えるのも歌のように丸覚えしているわけですが、これも時間感覚がなければ順序だてて憶えることができません。

自分の認識

そうして子どもは自分を元にして「考える」ことができるようになるのです。一見簡単な事のようですが、ここまでくるのには長い道のりがありました。今までバラバラだった意識は一本の線につながり、脱線しないように自分を客観的にコントロールする超自我が発達してきます。

それによって自分を客観的に見つめる事ができるようになり、お母さん、お父さんにも、他の子どもにも、先生達にも自我があり、自分のように考えながら行動しているのだと理解できるようになるのです。ここで初めて少しだけ「相手の身になって考える」ことができるようになるわけです。社会的なコミュニケーションの全ては、この土台の上に組みあげられていくことになります。

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