2何が出来るのかを見つめる-1歩行

歩行前の世界

子どもと接する場合、一番の重要事項は対応の仕方でも話し方や動機付けでもありません。よく観察することです。その子どもを良く見て、何ができて何ができないのか、理解度はどこまでか、今は心の子どもの中で何が起きているのか、次にどんな行動を取ろうとしているのかを見極めることが一番重要なのです。

乳児の視界は最初の頃は意外と狭く、目の前の物、数十センチしか見えていないと言われています。しかし、すぐに視野も広がり遠くの物もおぼろげながら認識するようになります。子どもが高い高いをされて喜んだり、抱っこされたり、ベビーカーで散歩したりするのを喜ぶのは、その身体的な感覚が面白いのとともに、視界が次々と変化することへの喜びもあるのです。

最初の頃はテレビの画面が動くように目の前の風景が単純に変化していると認識していた子どもも、自分の体が動くことで外界が変わる、つまり動いているのは外界ではなく自分なのだと感じるようになります。

何のために歩くのか

顔を動かせば周りが変化する、ということは自分が動けば違う景色を見ることができるわけです。これは移動するための大切な動機付けになります。子どもは手足が思い通りに動くようになるとハイハイをはじめます。そしてこれに慣れると次は歩行を覚える段階です。

なぜ子どもは移動しようとするのでしょうか?それは周りに興味があるものがあったり、遠くにいる母親の元へ行きたかったり、自分の見ている光景を変化させたかったり様々な理由がありますが、とにかく子どもは移動の手段を手に入れる必要があるのです。より速く、より遠くへ移動するために自分の体を遠くへ運ぶ手段を手に入れるのです。

歩く前の準備

歩きはじめる前には、様々な自分の中の環境が整わなければなりません。心理的には遠くへ移動したい欲求、周りを見渡す認識力、目標までの距離感、自分の重心を感じるバランス感覚等です。

しかし、それ以上に身体的な成長が整わないことには歩くことはおろか立つことも難しいでしょう。まず足は自分の体重を支えられるまでに発達していないといけません。それだけではなく前へ踏み出すためには一時的に片足で自分の体重を支えなければ転倒してしまいます。

忘れられがちなのは手の力です。何かにつかまったり、自分の体を起こすためには手の力を必要とします。それが無い場合、いくら周囲の人間が起こして立たせてみても歩き出すきっかけにはつながりにくいものです。自分ひとりで立ち上がる動作を再現できないので、興味が持続しないのです。

バランス感覚は心理的なものと密接に関係していますが、それを感知するのは耳の三半規管です。子どもはブンブンと頭を振ったり、立てるようになるとグルグル回ったりしますが、これはそのバランス感覚の変化を楽しんでいるわけです。この部分の発達も重要です。平地に立つだけでも難しいのに、そこで歩いたり(自分の体がグラグラ揺れる)、坂道やデコボコ道、階段などにも対応できるくらい発達しなければなりません。

次に上体を支える背筋の力です。これはハイハイをしているうちに少しずつですが、ついてきます。もう一つ大切なのは腰の力です。前後ではなく左右の対照的な腰の回転運動が歩くという動作を可能にします。これで歩きはじめる前の条件が整ったことになります。

三次元空間

逆に条件が整わなくても歩き始めようとする子どももいます。その場合は身体的な条件が整っていない場合は転倒の可能性を、心理的な条件が整っていない場合は衝突の危険性があります。周囲の人間は本人の個別の力量を把握して見守る必要があります。大きな事故につながる可能性があるからです。

ハイハイの時に見ているのは前方の低い視界だけですが、立ち上がって移動すると視界も広がり三次元的に物事を見る必要が出てきます。ハイハイでは前方に障害物があるかどうかだけを見ていれば良かったのですが、立ち上がった場合まっすぐ前方を見ているだけでは足元のものにつまづいてしまうこともあります。

また、地面がいつも平らだとは限りません。ハイハイの場合は、先に手で探りながらでもあるし、常に地面を見ているので支障がなかった場所でも、傾いていたり、段差があったりと危険は足元にも転がっています。また、立ち上がっているのでハイハイの時と違い高さの感覚が必要になります。自分が通れるところなのか自分の体の大きさを認識できていないために、テーブルの下へ行こうとして直進し、頭を打ち大きなタンコブができてしまうこともあります。

ハイハイともう一つ違う点は、移動速度が速く、方向転換も容易になるという事です。このために前方だけでなく左右から近づいてくるものがないか常に注意しておく必要があります。大人にとっては当たり前ですが、この段階の子どもは左右から車が近づいてくる等ということは全く考えていません。また方向転換が容易だということは左右の物にいきなりぶつかったりすることもある、ということです。自分の体の限界も良くわかりませんから急に横を向こうとして足がもつれて転んだりすることもあります。

距離と時間

こうして歩くことに一旦慣れると日に日に能力が上がっていきます。視界が移り変わり、目的地に簡単に行けるようになるのと、なによりも歩くという行為が楽しいからです。この段階では周囲の人間は子どもの能力変化を絶えず見守っていなければなりません。昨日と今日で歩く速度が急変していることなどは、この段階ではよくあることです。なので子どもの運動能力を過小評価していると激しく物にぶつかったり転んだりと事故が起こる可能性が大きくなります。

また、体重の増加も大きな要因です。軽自動車の事故とトラックの事故を比べてみてください。体重はどんどん増加していきますが、体や皮膚の頑丈さは急激に変化するわけではありません。今までより大きなスピードで大きな質量が物にぶつかれば、そのダメージは数倍になります。大怪我に注意して見守るようにしましょう。体の方は急激に変化しますが、心の中でも大きな変化が起こっています。それは時間と空間の認識です。この前まではハイハイで必死で動いて行った距離を今では一瞬で移動することができます。遠いと思っていた玄関も心理的に近くなり、ハイハイでは見えもしなかった鍵の位置も立っていれば見える可能性もあります。(無断外出に注意しましょう)家の中の段差もハイハイなら越えられなかったものが、立っていれば多少の苦労で越えることができます。行動範囲も、移動する時間間隔も子どもの中では一気にハードルが下がるのです。

世界の大きさ

大人が勘違いをしやすいのは子どもの行動範囲の大きさです。大人は子どもの持久力、体力などから行動範囲を予想しますが、それは行って帰ってくることを想定した行動範囲であること普通です。そこに油断が生まれます。子どもは移動できることで変わる世界のいろんな物に興味津々です。行って「帰って」くることなどは考えていません。どこまでも興味があるところへ突き進んで行き、そこで、または途中で力尽きてもいいのです。子どもの体力は片道分の燃料だと考えておいてください。「その後のこと」などは全く考えていません。今に夢中なため、ペース配分などは大人が注意して考えましょう。

子どもにとって知らなかった世界がどこまでも広がっています。あのドアの向こうには何があるんだろう。階段を上った先には何があるんだろう。興味はつきません。下りの階段や落ちるような場所は、ハイハイの段階からそれを見分ける目を持っていますが、それと落ちたらどうなるかを認識しているか、落ちない身体能力を持っているかとは別問題です。くれぐれも事故に注意して見守りましょう。

自分が動けば世界が変わる

こうして空間の中をある程度自由に動ける力を持った子どもは、世界の広さを実感します。自分が動けば世界が変わるということの意味は、動いて隣の部屋へ移動した場合を考えてみるとわかります。いつもいる部屋に外が見える窓があったり、他の人が出入りするドアがあったりします。ある日、そのドアから出てみると馴染みのない風景があります。そこには触ったことのない物やまた別の所に通じるドアがあったりします。

今まで抱っこされて移動したことはありますが、それが自分の力で移動可能なことに気づき、今までに蓄積された空間の記憶が、移動という概念と結び付けられるのです。そして、まだ行ったことのない場所、触ったことのない物へと興味は移り変わります。そしてより速く、遠くまで歩けるようになっていくのです。好奇心が移動のエネルギーになるわけです。

※この関連内容を書籍型pdfファイルにまとめたものが
「育てる技法」としてダウンロードできます
育てる技法<<<是非お手元にどうぞ